神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止されたことになります。実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。
というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。もし律法による者が相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になってしまいます。律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした。」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。(新改訳)
創世記を見ると、人類はこの世界の始めのころ、3度の大きな失敗をしていることが分かります。1回目は、善悪の知識の木からとって食べたこと。これによって人類に罪と死が入り堕落してしまいました(創世記3:6)。2回目は、堕落した天使と人の娘の結婚による悪の増大。これによってノアとその家族以外のものは大洪水によって滅ぼされました(創世記6:7)。3回目はバベルの塔を建てて自らが神のようになろうとする企て。これによって神は言葉を混乱させ、人類は各地に散っていくようになりました。
このように人類は、その心と体全体に及んでいる罪を、自らの力によっては解決することが出来ない者です。そんな私たちのために、神は、ノア、セム、エノクからやがて生まれたアブラムと神は契約を結び、アブラムと彼の子孫を通して全人類を救おうとなさいました。
この契約は、恵みの契約といわれるもので、ローマ書が教えているように、行いによってではなく、信仰によって、神を信じてその救いを受け入れることによって救われるというものでした。
アブラハムの時代には、まだ具体的に神がどのようにして私たちを救ってくださるのかということははっきり分かりませんでしたが、アブラハムと結ばれた信仰によって救われるという契約は、今も有効であり、私たちは、やがて彼の子孫として生まれたイエス・キリストによって、具体的に私たちが救われるための御業を完璧に果たしてくださったのです。
祈り
天の父なる神様、アダム以来の人類は、絶えず神に背き、大きな失敗を繰り返してきたものですが、そんな私たちを救うためにアブラムを選び、恵みによって救われる道を拓いてくださったことを心より感謝いたします。
聖書の救いの歴史は、いつの時代も信仰によって救われるという事実を教えていますが、私たちにも神に信頼し、神とともに生きる者として導いてくださることを感謝いたします。あなたを信頼する心を持ち続けるものとしてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。