33:8 エサウは尋ねた。「今、わたしが出会ったあの多くの家畜は何のつもりか。」ヤコブが、「御主人様の好意を得るためです」と答えると、
33:9 エサウは言った。「弟よ、わたしのところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい。」
33:10 ヤコブは言った。「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。
33:11 どうか、持参しました贈り物をお納めください。神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。
33:12 それからエサウは言った。「さあ、一緒に出かけよう。わたしが先導するから。」
エサウが、「今、わたしが出会ったあの多くの家畜は何のつもりか。」と尋ねると、ヤコブは、「御主人様の好意を得るためです」と答えました。つまりヤコブから兄エサウへの贈り物ですと言うのです。
エサウは、「弟よ、わたしのところには何でも十分ある。」と言いましたが、ヤコブは、「わたしは何でも持っています」と言っています。エサウは、父イサクからの相続の財産をたくさんいただいていたと思われますから、十分なものを持っていたことでしょう。これに対してヤコブは、一人で出かけて行ってたくさんのものを持つようになりました。
彼はここで、私は何でも持っていると答えています。つまり、ヤコブにとってすべては神の恵みでした。多い、少ないという問題ではなかったのです。外見上はどのようであったとしても、神がともにおられる人はすべてを持っているということが出来るのです。
祈り
天の父なる神様、私たちはあなたから実に多くのものを与えられています。見えるものも見えないものもありますが、何よりもあなたがともにおられて必要のすべてを与えてくださること、私たちを愛してくださるお方であることを改めて覚えることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。