12:26 また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、
12:27 こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。
12:28 それから、イスラエルの人々は帰って行き、主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。
12:29 真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、
12:30 ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった。
神様は、過ぎ越しの儀式を毎年行うことと、子供たちを含めた家族たちにもこのことの意味を教えるように教えてくださいました。日本に住む私たちは、過ぎ越しの祭りを祝うことはありませんが、かつてエジプトの奴隷の状態であったイスラエルがこのようにして神の恵みによって解放されたことを覚えることは、クリスチャンにとっても大切なことであると思います。
聖書の歴史は、そのまま罪ある人間を恵みによって救い出してくださる神の御業を表しているからです。
「真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれた」と言われています。
罪ある者は誰一人例外なく神の裁きを受けなければならないことが教えられています。罪を悔い改め、神を信じて生きることは、その人の生死にかかわることであるということが教えられています。
祈り
天の父なる神様、神の裁きが下されたとき、小羊の血を家の門と鴨居に塗った家はその裁きを免れることが出来ましたが、「死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった。」と言われています。あなたが用意して下さった小羊の犠牲以外に裁きに耐えられるものはほかにありません。神の小羊であるイエス・キリストを見上げて、主に在って生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。