15:22 モーセはイスラエルを、葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒れ野に向かって、荒れ野を三日の間進んだが、水を得なかった。
15:23 マラに着いたが、そこの水は苦くて飲むことができなかった。こういうわけで、そこの名はマラ(苦い)と呼ばれた。
15:24 民はモーセに向かって、「何を飲んだらよいのか」と不平を言った。
15:25 モーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。その木を水に投げ込むと、水は甘くなった。その所で主は彼に掟と法とを与えられ、またその所で彼を試みて、
15:26 言われた。「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である。」
15:27 彼らがエリムに着くと、そこには十二の泉があり、七十本のなつめやしが茂っていた。その泉のほとりに彼らは宿営した。
荒野の旅において、当然懸念されることは水や食物の不足です。雨が降らないために草も木も生えていないようなところです。昼の温度と夜の温度はかなり違いますし、テントで移動しながらの暮らしは健康状態も懸念されるところです。
しかし、この荒野の旅は、神がともにおられる旅でした。彼らは、「荒れ野を三日の間進んだが、水を得なかった。」と言われています。彼らはエジプトを出る時には、水も食糧もある程度は持ってきたに違いありません。しかし葦の海から三日間水がないという生活の中で、彼らは渇きを覚えていたに違いありません。
マラというところに到着し、水を発見して飲んでみたのですが、その水は苦くて飲むことが出来ませんでした。200万人もの人たちが多くの家畜をもつれて荒野を行くというのは、人間的に考えれば無謀な旅です。しかし、この度は神が導いておられる旅なのです。
祈り
天の父なる神様、あなたはイスラエルの人々にエジプトから脱出させると約束し、「わたしがあなた方と共にいる」と言ってくださいました。この約束は、さらに新約時代においては、罪の贖いが実現され、聖霊が送られたことから、もはや実現された約束として、私たちは受け止めることが出来ます。すでに実現されていることですが、まだ完成されているわけではありません。私たちは、約束の地に向かって、「すでに」実現されたあなたの救いの御業を見つめながら、これを完成させてくださる再臨のキリストを待ち望むものです。主イエスよ、共にいて私たちをお導き下さり、すべての悪が駆逐され、死も滅びも裁かれて、全き解放の時を祈りつつ歩み続けます。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。