15:1 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。

15:2 すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。

15:3 そこで、イエスは次のたとえを話された。

 

ルカによる福音書15章には、イエス様がお語りになった「いなくなった羊」、「無くなった銀貨」「放蕩息子」の3つのたとえ話が記されています。

 

いずれも、父なる神のもとから離れて失われたものとなっていたものが、元の主人(本来の父親)のところに帰ってきたときに、その主人は、そのことを心から喜ぶに違いないというものです。

 

イエス様がこのたとえ話をお語りになったきっかけは、徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た時に、それを見て、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。というところにありました。

 

神は、すべての人が救われて神のもとに立ち帰るようになることを願っているけれども、律法学者やファリサイ派の人たちは、自分が罪人だとレッテルをはっているような人とは関わりたくないし、彼らのトラブルにも巻き込まれたくないと考えていたことが分かります。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちの内には人を差別したり見下したり、自分が他の人よりも上に登って人々の上に立ちたいと思うような心があります。ファリサイ派の人たちが持っていたような心を私たちも持っているのです。そのことを正直に認めつつ、いつもあなたのもとに帰ることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。