3:17 神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
3:18 だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。
3:19 この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちを/その悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、
「本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい」と言われています。本当に知恵のある者となるためには、愚かな者にならなければならないと言うのです。人間の知恵から見れば愚かなことの中にこそ、神の知恵、本当の知恵があるからです。
1章18節には、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」と言われていました。この愚かさは、十字架につけられたキリストの愚かさです。キリストの十字架は人間の知恵から見れば愚かなものに見えるのです。キリストの十字架の死を自分のための救いの業と信じるなどということはまことに愚かなことに思われるのです。
パウロがここで指摘している教会を破壊するような言動は、教会における内輪揉め、党派争いです。コリントの教会にそのようなことが起っていました。そのような人たちにパウロが勧めていることは、人間の知恵を誇るのではなく、自分がどうしようもない罪人であることを認め、キリストの十字架の死によらなければその罪が赦されないと認めることなのです。
祈り
天の父なる神様、人間の知恵や知識によって神の領域に到達することは決してありません。あなたが教え導いてくださることがなければ、私たちは自分自身を正しく知ることも出来ないものです。真実に謙遜な者として、真実に愛に生きる者とならせてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。