15:29 そうでなければ、死者のために洗礼を受ける人たちは、何をしようとするのか。死者が決して復活しないのなら、なぜ死者のために洗礼など受けるのですか。

15:30 また、なぜわたしたちはいつも危険を冒しているのですか。

 15:31 兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。

 15:32 単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。もし、死者が復活しないとしたら、/「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ということになります。

 

パウロはここで、「死者の復活はない」と考えている人たちに、イエス・キリストの復活の事実は、罪ある人間がその罪を赦されて、イエス・キリストの十字架と復活のゆえに復活することになるのだと教えています。

 

イエス・キリストは、罪ある者を招いて救うために来られたのですから、死者の復活がなければ、イエス・キリストの働きは無意味であったことになるのです。イエス・キリストを信じる者は、その信仰によって罪を赦され、神の義を与えられて、終わりの日によみがえることが出来るのです。

 

神の救いの御業は、このように罪の中にある人々を、神の御子イエス・キリストの働きによって、罪と死の中から救い出すというお働きだからです。「死者が復活しないとしたら」神の救いの御計画は失敗に終わることになります。

 

死者の復活こそ、神が私たちを救う権威を力を持っておられ、私たちを愛しておられることのしるしなのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネの福音書3章16節)と言われているとおりです。

 

祈り

 

天の父なる神様、死の力の前には私たちは無力です。罪のために死に定められたものとなっている私たちを救うために、あなたのひとり子であるイエス・キリストをお送りくださいました恵みを感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。