2:1 そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました。

 2:2 もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、わたしを喜ばせてくれるでしょう。

 2:3 あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。

2:4 わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。

 

パウロのコリント訪問は、コリントの信徒たちに悲しみをもたらしたようです。それで、パウロは再びコリントの信徒たちを悲しませることはすまいと決心して、エフェソに留まっていたのです。エフェソにいて「悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書」いたようです。

 

この「涙ながらに書いた」手紙は失われてしまっておりますが、2節~3節を見るとその内容を垣間見ることが出来ます。「あなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、わたしを喜ばせてくれるでしょう。」とありますが、「わたしが悲しませる人」とは、みだらな行いをしてパウロを中傷していたために、パウロによって教会の交わりから除外するようにと言われた人です。

 

ここで念頭に置かれている人は、異なる福音を伝える人たちと思われます。ふ「異端」として排除された人たちです。こうした人たちが聖書の言葉を語りつつ間違ったことを教えることがあれば、それは教会の人々に少なからず影響を及ぼすことになるからです。

 

この手紙の11章3~4節では次のように書き送っています。「ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。」

 

祈り

 

天の父なる神様、旧約の時代には偽りの預言者たちがおり、新約の時代にも異なる福音を語る人たちがいます。けれども、私たちが誤った理解に陥ることがないように、聖霊によってお守りください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。