「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」ルカの福音書18章41節

彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。(新改訳)

 

この人は、目が見えないために、道端に座って物乞いをしていたのですが、主イエスが来たことを知ると、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫びました。この現状を自分ではどうすることも出来なかったのです。

 

それはこの盲人には限りません。あなた自身を煩わせるばかりでなく、あなた自身が他の人々を煩わせるものは何かといえば、それは大抵、自分では手に負えないものではないでしょうか。自分の努力や知恵を絞っても、努力しても、自分ではどうしようもないものがあるのです。

 

主イエスとの出会いの中で、主は私たちが直面している大きな問題について、「わたしに何をしてほしいのか」とお尋ねになります。そして、私たちが自分では到底解決できないと思っていること、諦めていることに対しても、私たちが期待しているやり方によってというよりも、主ご自身の時とやり方によって応えてくださるのです。

 

マルコ10章には、「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」(マルコ10:27)と言われていますが、神は、不可能を可能とされる方です。あなたにとってもっとも不可能なことは、盲人の目が見えるようになることよりもはるかに不可能なことです。それは、あなたの罪がなくなる事であり、神との関係が回復することです。

 

それは、私たちがどんなに修行を積んでも、罪を無くすことも赦すことも出来ません。それが出来るのは神だけです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたは目の見えない方の目を開き、見えるようにしてくださいましたが、私たちの心の目をも開いて、真理を悟らせてくださり、主イエスによる救いの恵みに与らせてくださることを覚えて感謝いたします。

主の恵みのうちに生涯歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。