5:2 わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。
5:3 それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。
パウロは、「地上の幕屋を脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません」と記していますが、「裸のまま」とは、肉体を着ない魂だけの状態のことです。私たちはこの世の生涯を終える時には、肉体は朽ちてやがて塵に帰りますが、その本体である魂は天に引き上げられるのです。
しかし天において魂だけで過ごすわけではありません。1コリント15章44節には「自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。」と言われています。私たちは、天において、朽ちることのない霊の体をもって復活するのです。
また、「天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って」いると言われているように、私たちは、この地上での生活で経験したことが全く白紙になるという事ではなく、天上での生活は、この地上で生きたことの上に重ね着をするようなものだと言われています。
天においては、罪のない、朽ちることのない者に復活するのですが、それはこの地上で生きてきた自分が神の前に罪なき者とされて、その上に「白い衣」(ヨハネの黙示録3章4~5節参照)を着るようになるのです。
祈り
天におられる父なる神様、イエス・キリストの十字架の血潮によって「天から与えられる住みかを上に着」ることが出来ることを切に願いつつ、あなたの恵みのうちに歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。