8:11 言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。
8:12 だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
イエス・キリストは「言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」。と言われました。
当時のユダヤ人たちの常識で言えば、御国の子らであるユダヤ人が、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着き、異邦人が外の暗闇に追い出されると考えられていました。ユダヤ人たちはアブラハムの血縁的な子孫である自分たちこそ天の国の祝福にあずかる者であると信じていたのです。
しかし、イエス様は、そうではなくて、東や西から来る大勢の異邦人が、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く、天の国の祝福にあずかる者となると言われたのです。ここでイエスさまが教えておられることは、アブラハムの血縁的な子孫であるユダヤ人がアブラハムと共に宴会の席に着くわけではないということです。
バプテスマのヨハネも3章9節で、「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな」と言って悔い改めを迫ったように、アブラハムの血縁的な子孫であるユダヤ人がアブラハムと共に宴会の席に着くわけではないのです。そうではなくて、アブラハムの信仰にならう信仰的な子孫が、異邦人であってもアブラハムと共に宴会の席に着くのです(ローマ4:1~12参照)。
そのさきがけを、イエスさまはこの百人隊長に見て取られたのです。12節の「だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」というイエス様の御言葉は、バプテスマのヨハネが語ったように、真実の悔い改めをもって、神に立ち帰ることを求める言葉であるということが出来ます。
祈り
天の父なる神様、私たちもアブラハムの信仰に倣って、まごころからの信仰をもってあなたに聞き従うことが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。