15:32 イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」
15:33 弟子たちは言った。「この人里離れた所で、これほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか。」
「イエスは弟子たちに呼び寄せて言われた。『群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない』」。ここで、イエス様は、群衆が「もう三日もわたしと一緒にいる」と言われています。ですから、イエス様の癒しの業を見て、イスラエルの神を賛美した群衆は帰ることなく、そのままイエス様と一緒に居続けたのです。その三日の間に、イエス様は異邦人である群衆に、御国の福音を宣べ伝えられたのです。
このイエス様の言葉に対して、弟子たちは、「この人里離れた所で、これほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか」と言いました。私たちは、この弟子たちの言葉を聞いて不思議に思うのではないでしょうか?なぜなら、弟子たちはすでに、イエス様が五つのパンと二匹の魚で五千人以上を満腹させられた奇跡を体験していたからです。
しかし、弟子たちは、その体験を忘れてしまったかのように、「この人里離れた所で、これほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか」と言うのです。イエス様が五千人以上に食べ物を与えたときには、弟子たちの方から、群衆の食べ物のことを言い出していたのです。14章15節を見ると、「夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう』」とあります。ここでは、先ず弟子たちが群衆の食べ物のことを心配しているのです。
しかし、今日の御言葉では、群衆が三日もイエス様と一緒におり、食べ物がないにも関わらず、弟子たちは群衆の食べ物について何も言い出さないのです。イエス様から「空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない」と言われても、「この人里離れた所で、これほど大勢の人に十分食べさせるパンが、どこから手に入るでしょうか」と答えています。なぜでしょうか?
それは、弟子たちが自分たちは神の契約の民イスラエルであり、群衆は異邦人であったからです。弟子たちは、自分たちが体験したイエス様の食べ物を与えるという奇跡に、異邦人である群衆をあずからせたくないのです。旧約聖書のヨナ書に出てくる預言者ヨナも、異邦人であるニネベの町の人たちが悔い改めて救われてほしくないために神の御心に従わなかったと言われています。(ヨナ書4章参照)
預言者や弟子たちでさえも異邦人が窮乏に陥っていても、あるいはその魂が救われることには関心がないという有様でしたが、イエス様は、そのような分け隔てをなさらないことを教えてくださいました。
祈り
天の父なる神様、造られた被造物である私たちひとりひとりを今日も育み支えてくださる恵みを感謝いたします。分け隔てをすることなくあなたの御名を求める人たちが起こされ、あなたの御栄が表わされますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。