人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。マタイによる福音書16:26
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
荒野の誘惑において、サタンは主イエスを誘惑しましたが、その際、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。(マタイ4:8~9)ことがありました。
実際のところ、神がこの世界のあらゆるものの所有者ですが、創世記によると、神は人間にこれを治める働きを委ねてくださいました。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」」(創世記1:27~28)と言われているとおりです。
ここで神が願われたことは、人間が自由気ままに、好きなように治めればよいということではなく、神の御心に従ってこの世界を治めることでした。しかし、罪を犯した人間は、神の御心は無視して、自分が主人であるかのように、この世界を支配しようとしてきたのです。
私たちは、いのちを与えてくださるのは神であることを踏まえる必要があります。いのちを買い戻すために、神がそのひとり子のいのちを差し出してくださったことをも。
祈り
天の父なる神様、むさぼってはならないと言われていますが、この世界のありさまを見るとき、人々は必要以上に様々なものを求めて際限がないように思われます。しかし、本当に必要なものであるいのち(神との交わり)をおろそかにしているように思われます。あなたの恵みを無駄にすることがありませんように人々の心があなたに向かって開かれますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。