20:24 ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。

 20:25 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。

 20:26 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、

 20:27 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。

 20:28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

 

ほかの十人の弟子が二人の兄弟のことで腹を立てたのは、十人の弟子たちも二人の兄弟と同じことを願っていたからです。他の弟子たちもイエス様からいちばん偉い者とされ、他の弟子たちの上に立ちたいと願っていたのです。

 

そのような弟子たちに対してイエス様は、十二人の弟子一同を呼び寄せてこう言われました。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命をささげるために来たのと同じように」。

 

ここでイエス様は、支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るう異邦人たちの社会と御自分の弟子たちがつくる社会(教会)の原理を明確に区別しておられます。イエス様は、あなたがたの間では、支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力をふるうようであってはならないと言われるのです。

 

さらには、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、あなたがたに仕える者になり、いちばん上になりたい者は、あなたがたの僕になりなさい」と言われるのです。そして、その模範こそが、イエス様ご自身です。イエス様は、仕えられるためではなく、仕えるために来てくださいました。そればかりか、多くの人の身代金として自分の命をささげるために来てくださったのです。

 

ここで「身代金」と訳されている言葉は「贖い」とも訳される言葉です。元々の意味は、奴隷を買い戻すために支払われる代価を意味しています。イエス様は、私たちを罪の奴隷状態から贖い出すために、御自分の命を十字架の上でささげられるのです。マタイによる福音書には、イエス・キリストについて「この子は自分の民を罪から救うからである」と記しました(1:21参照)。

 

イエス・キリストが、御自分の民をどのようにして罪から救ってくださるのかといえば、それは、多くの人の罪の贖いの代価として、御自分の命を十字架の上でささげることによってなのです(イザヤ53章参照)。そのようにしてイエス様はそのご生涯を人に仕えるものとして歩み続けてくださいました。

 

祈り

 

天の父なる神様、神の御子であるイエス・キリストを、私たちの罪からの救い主としてお送りくださった恵みを感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。