神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。コリント人への手紙第一1:4-5
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
旧約の預言者たちも、新約の使徒たちも、世々のクリスチャンも、苦難を経験しない人は一人もありません。この世の支配者である悪魔は、神を信じ、神と共に歩もうとする人たちをターゲットとして誘惑し、苦難をもたらすからです。しかし、ヨブ記にも記されているように、どのような苦難も、神の許可なしには苦難を下すことはできません。
病気や事故、災害や戦争など、私たちが苦難と感じるあらゆる出来事は、自分自身の不摂生によって起こされたり、外敵によってもたらされたり、自然現象によってもたらされたりしますが、すべて神の御手の中にあるものだということを忘れてはなりません。
神は私たちのすべてをご存知で、私たちのありかたに応じて、その時の状況においても、適切な時に、私たちに必ずや益をもたらし、成長させてくださるような形で、私たちを試したり、段階を踏んで成長への階段を上るように、節理のうちに導いてくださるのです。
1コリント人への手紙には、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10:13)といわれています。
神が与えてくださる苦難で、慰めのない苦難はありません。ですから、私たちも神との交わりを持ちながら、神と共に歩もうとするとき、慰めや喜び、感謝や希望がそこにあることを見出すのです。神はそれらの源であるお方だからです。
祈り
天の父なる神様、アダムが罪を犯してこの世の支配者である悪魔が人々を惑わし、破滅に陥れようと企てる中にあって、あなたは慰め、感謝、喜び、希望、愛、謙遜、信仰を与えてくださり、悪魔の策略に陥らないように守り、導いていてくださいます。あなたの守りと支えの中で、生涯、主と共に生きるものとならせてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。