23:13 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。

 

イエス様は、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。なぜなら、人々の前で天の国を閉ざすからだ」と言われました。今日の御言葉では、律法学者たちやファリサイ派の人々に、「あなたたち偽善者は不幸だ」と言われるのです。

 

ここで、「不幸」と訳されている言葉は、「ウーアイ」という言葉で、元々はうめきの声でした。これを新改訳聖書、口語訳聖書では「わざわいだ」と訳しています。私は、「不幸」と訳すよりも「わざわいだ」と訳した方がよいのではないかと思います。

 

「不幸」と言うと、その人だけに留まるような印象を受けますが、「わざわい」と言うと、その人だけに留まらず、他の人々にも影響を及ぼす印象を受けるからです。「律法学者たちとファリサイ派の人々」、彼らはイスラエルの指導者たちでした。

 

指導者が与えられていることは、本来、喜ばしいことですが、しかし、その指導者たちがイスラエルの民にわざわいをもたらすものとなっていたのです。ここで、イエス様は、律法学者たちとファリサイ派の人々を「偽善者」と読んでいます。「偽善者」と訳されている言葉は元々は「仮面をかぶって演じる役者」を意味していました。そこから、心にもないことを行う者を「偽善者」と呼ぶようになったのです。

 

彼らは自分が重んじられることを願いながら、あたかも神を重んじているかのように振る舞っておりました。心では自分の栄光を求めつつ、あたかも神の栄光を求めているかのように信心深い者として振る舞っていました。それゆえ、イエス様は、律法学者たちとファリサイ派の人々を「偽善者」と呼ばれたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、当時の宗教・政治的な指導者であった律法学者、ファリサイ派の人たちは、聖書を教える教師と言われておりましたが、彼らが教えていることとしていることは、神への真摯な信仰に基づくものではありませんでした。そのようなあり方ではなく真心からの信仰をもってあなたと歩み続けることが出来ますようにお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。