3:5 その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、
3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

神殿の美しの門は、たくさんの人々がその門を出入りしていましたが、門のところに座って物乞いをしている人に心を向ける人は少なかったに違いありません。誰もわたしの目を見てくれない。誰もわたしに話しかけてくれない。誰もわたしがわたしであるがゆえに重んじてくれない。そんな思いを持ちながらこの人は文のところにたたずんでいたことでしょう。

この人は、施しを乞うという仕方で、多くの人に接しておりましたが、本当の出会い、人格のふれあいというものを体験したことはとても少なかったのではなかったかと思われます。しかし、そのようなこの人に、ペトロは語りかけました。

「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」ペトロは、はっきりと「わたしには金や銀はない」と申します。ペトロたちも、この男同様、おそらく貧しい身なりをしており、一日一日を主に委ねて歩んでいたのだと思います。

「あなたが見ての通り、わたしも貧しい者だ」こうペトロは言っているのです。けれども、金や銀ではないが、持っているものがある。いや、金や銀よりも遥かに素晴らしい宝がある。そのもっているものをあなたにあげよう。こうペトロは語り、そしてこう命じるのです。「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

祈り

天の父なる神様、神殿の美しの門のところで物乞いをして暮らしていた人に、ペトロは声をかけました。使徒たちはイエス・キリストによって病を癒す権威を与えられていましたから、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」という言葉によって、この人は病を癒されるとともに、イエス・キリストを信じる信仰をも与えられて、新しい人生を生きるように導かれていきました。あなたのお恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。