6:11 そこで、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。
6:12 また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。
6:13 そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。
6:14 わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」
ステファノに反対する者たちは、議論しても歯が立ちませんので、民衆、長老、律法学者たちを扇動して、ステファノを捕らえ、最高法院に引いて行きました。11節に「そこで、彼らは人々を唆して、『わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた』と言わせた。」とあるように、この人々の証言が、民衆や長老たち、律法学者にも広まり、彼らをあおり立てて、ステファノを捕らえ、最高法院へと引いて行ったのです。そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせたのです。
「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」
ステファノとに反対する者たちは、ステファノの言葉を、11節では「モーセと神を冒涜する言葉」でしたが、14節では、「聖なる場所と律法をけなす」という言葉で言い換えています。つまり、ステファノの教え、神はイエスをメシアとなされたという教えは、聖なる場所と律法をけなすことになると彼らは考えたのです。
ここで問題になっていることは、旧約時代から新約時代に移行する時期の問題であったと言えます。例えば、これまで、イスラエルの宗教において、神と民との間を取りもって来たのは、モーセ律法と神殿祭儀でした。当時の人々は、ファリサイ派に見られるように、この律法を守ることによって、人は神から義としていただける、救っていただけると考えていたのです。
しかし、使徒たちの教えるところによれば、人々の救いは、何よりも、イエス・キリストを信じる信仰にかかっているというのです。また、使徒たちは、イエス・キリストを主、メシアと信じるならば、罪を赦していただけると教えていました。
それでは、神殿でささげる動物犠牲は、一体どうなってしまうのでしょうか。使徒たちの教えを突き詰めると、神殿祭儀はもう不要になってしまうことになります。ですから、イエスがメシアとなられたことは、これまでのイスラエルの宗教のあり方を、根本から変える一大事だったのです。
そのことに、ステファノは気づきはじめていました。そして、彼はそのことを使徒たちよりも大胆に語っていたのではないかと思うのです。使徒たちは、依然として神殿で祈りの時を過ごしていました。ヘブライ語を話すユダヤ人である使徒たちは、神殿を重んじ続けていたのです。しかし、ステファノは、そうではなかったのです。
ステファノは、使徒たちよりも、急進的であり、ラディカルだったのです。そして、この律法と神殿祭儀を巡る議論は、イエス様がメシアとして君臨された以上、これは避けることのできない、いつかははっきりさせなくてはならない、そういう議論だったのです。
祈り
天の父なる神様、ヘブライ語を話すユダヤ人たちはまだ神殿やそこで行われる祭儀を重んじていた面がありますが、ギリシャ語を話すユダヤ人たちは、イエス・キリストによってもたらされた罪の贖いによって、新しい契約がもたらされたことを覚えて、やがて使徒言行録15章においてこの問題をめぐってエルサレム会議を行うことになります。このようにしてあなたの救いの御業が実現されていくことを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。