8:20 すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。
8:21 お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。

ペトロは、シモンに対して、「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。」と言いました。「滅んでしまえ」とは随分、厳しい言葉です。なぜ、ペトロはこれほど厳しい言葉を語ったのか。それは、シモンがとんでもない思い違いをしていたからです。彼は神の賜物を金で手にいれられるかのように考えていたのです。

そして、このシモンの言葉の前提には、ペトロ自身が、聖霊を与える力を持っているという魔術的な考え方があったのです。「神の賜物」とは、神様から一方的に無償で与えられた恵みのことです。その神様からの無償の恵みを金で手に入れられると考える、そこにシモンのとんでもない思い違いがあるのです。

このペトロの言葉からも分かるように、おそらく、ペトロはこのとき、激しく怒ったと思います。怒鳴るように、声を荒げたとさえ思うのです。それはなぜかと言えば、この神の賜物を私たちにお与えになるために、主イエスがどれほどの犠牲を払われたかをペトロはよく知っていたからです。

聖霊は神の賜物であり、無償の神からの贈り物です。私たちにとっては、無償であったとしても、神様にとってはそうではありませんでした。イエス様は、私たちに聖霊という賜物を与えてくださるために、十字架のうえで命を捨ててくださったのです。

そのイエス様のお支払いになられた尊い血潮という代価を忘れて、金で神の賜物を手に入れようとは何事か。ペトロは本当に怒ったと思います。このことは、何もシモンだけのことではありません。私たちは主イエスが支払われた代価を忘れて、自分の力で神の恵みを勝ち取ろうとする過ちをしばしば犯してしまうものです。

祈り

天の父なる神様、魔術師のシモンは、お金で神の賜物を買うことが出来ると考えましたが、神が与えて下さるものはどれもお金で買うことが出来るようなものではありません。お金では買うことが出来ないほど尊いものです。そのような恵みを私たちにも与えて下さることを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。