わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。詩篇62篇1~2節
私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。
神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。
私たちは、自分の思いを叶えよう、自分の願うことをしよう。自分が中心になって、自分の思い通りのことを行うというのが私たちのありのままの姿ではないかと思います。赤ちゃんとして生まれて以来、私たちの思いはそうした思いを持ってきたのだと思います。
そんな私たちが、私たちの主の言葉を聞き、自分は黙って主の御声を聴くようになる。自分が語ることを主眼に置いているうちは、主の言葉を理解したり、自分が変えられるということは困難です。(私の)主の言葉としてこの言葉を聞き続けるときに、自分自身が新しく変えられていくことを知るようになるのです。
教育者の林竹二氏は、「学ぶことは変わることだ」といいました。真実の意味で学ぶとは、単に知識を蓄えることや、暗記するということではなく、試験でよい点を取るようになることでもなく、自分自身が変わることだというのです。たくさんの知識を身に着けても、資格や学位をとったとしても、自分が変わることがなければ、それは学んだことにはならないと言われるのです。
自分自身の体験の中で、「神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。」といえるようになった人は、明らかにそのように学びつつ、自分が変えられた人であることが分かります。
祈り
天の父なる神様、あなたのみことばを学ぶことによって、私の心が主にある平安と、感謝と、希望をもって歩むことがです来ますようにお導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。