兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。ローマ1:13~15

兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。(新改訳)

 

パウロは、「ギリシャ人にも未開人にも負債を負っている」と語っていますが、その負債とは、人間に対するものではなくて神に対するものだということは明らかです。異邦人に福音を伝えたいパウロの思いの最も深いところにあるのは、神に対する義務です。心からローマに行きたい。その思いを彼は、11節では次のように述べています。「あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」(11~12節)

 

ローマに行きたいというのは、ローマの町を是非見て見たいということではなく、神に対して自分は負債を負っているというのです。福音を伝えるという神から与えられた使命は、彼にとっては返さなければならない負債のように感じているのです。「ギリシャ人にも未開の人にも」というのは、異邦人の全体を指しています。

 

彼は、やがてスペインに行き、ヨーロッパにも行きたいと願っていますが(15:24)、そうした人たちは、まだ会ったこともなくどんな暮らしをしている人かもわからない「未開の人」たちでした。パウロは文字通り「地の果てにまで」(使徒1:8)福音を伝えることを自分自身の使命ととらえていたようです。

 

「知恵のある人にもない人にも」というのもこれと同じことです。あらゆる境遇の人に伝えるということです。神様は、すべての人がこの福音を聞いて、キリストの福音を受け入れて救われることを願っておられるからです。アカデメイアにあったプラトンの学校の門の上には「知恵ある者以外入るべからず」と書かれていましたが、当時は、字も読めない人や奴隷の身分の人もたくさんおりましたし、障碍を持つ人、重い病気の人は苦しい生活を強いられました。そうした人々にも福音は伝えられ、愛の業が行われることが神の御心でした。

 

祈り

 

天の父なる神様、今日もあなたのみことばをキリスト教、祈るひとときを与えられますことを心より感謝いたします。

あなたは、すべての人が救われて、真理を知るようになることを願っておられますが、この働きを行なうために、私たち一人ひとりを用いてくださいます。地の果てに至るまで、あらゆる人にこの福音が伝えられ、あなたの救いに与ることができますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。