なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。ローマ1:21

というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。(新改訳)

 

ここには、神の真理をすべての被造物から教えられているのに、それに対して正しく反応しない罪人の姿が示されている。正しい反応をしないので、その思いはむなしくなり、その心は暗くなるのです。

 

すでに、アダムとエバが神に対して罪を犯したとき、罪のために神との関係が損なわれてしまった時、彼らの心は暗くなり、恐れと不安が彼らの心を覆うようになっていたことが分かります。

 

人を造られた神は、アダムに次のように語っておられました。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創世記2:16~17)罪を犯したとき、アダムとエバは倒れて死んだというように、その肉体が死んだわけではありませんが、彼らの魂(心)は、神との関係が損なわれたことで死んでしまったのです。

 

心が暗くなり、聖なる神から身を隠そうとする姿がここにも現わされています。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」(創世記3:10)人は神とともに生きる存在として造られましたが、罪を犯して以来、いのちの源である神から逃れ、さまよい歩くものとなってしまっているのです。

これはまた、主イエスがこのように言われた姿ともいえるでしょう。「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」(マタイ9:36)罪の内に生まれてくる人は皆、飼い主のいない羊であるといえます。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちをあなたが造られたこの世界に生まれさせてくださった恵みを感謝いたします。いのちを育むこの世界は、あなたの栄光を現わしています。しかし、アダムが罪を犯して以来、私たちは皆、罪をもってこの世に生を受けてきます。

あなたが私たちのためにしてくださっていることに目をとめることもなく、自分中心の生活を営んでしまうものです。そんな私たちに、あなたはみことばを与え、あなたをわが神、わが主と認めて、ともに歩むことができる者へと導いてくださいました。

まことの飼い主のものに導かれたことを覚えて、主にあって生きるものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。