5:15 その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
神の御子イエス・キリストが十字架において死なれたのは、「生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きること」なのだと言われています。
生まれながらの私たちは、「自分自身のために生きる」ものです。場合によったら「自分さえよければ」という考え方や生き方をしてしまうこともあります。けれども、イエス・キリストが私の罪のために死なれたことを知るようになった人は、自分の主はイエス・キリストであることを知るようになり、この方を主人として生きるように変えられていくのです。
ヨハネによる福音書10章14節以下には次のように言われています。
「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。」(ヨハネ10:14~17節)
「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。」という関係の中で、イエス・キリストにつながれて生きるようになるのです。
祈り
天の父なる神様、よい羊飼いに出会うことが出来、あなたの御声を聞いてその支えの御手の中で生きることが出来ますことを心より感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。