16:13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
16:14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
イエス様は、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになりました。「フィリポ・カイサリア地方」とはガリラヤから北に約40キロメートルに位置する、ヘルモン山の南の麓にある水の豊かな緑の美しい地方です。
「人の子」とは、イエス様が御自分のことを言い表すときの言い回しです。ここでイエス様は、「人々はわたしのことを何者だと言っているか」と弟子たちに尋ねました。
それに対して弟子たちは、「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤ』だとか、『預言者の一人だ』と言う人もいます」と答えました。「洗礼者ヨハネ」は、イエス様に先立って神の国を宣べ伝え、悔い改めて神に立ち帰る人たちに洗礼を授けていましたが、領主ヘロデ・アンティパスによって捕らえられ、首をはねられた人物です。ある人々は、イエス様のことをこの洗礼者ヨハネだと言っていたのです。
また、「エリヤ」は紀元前9世紀に北王国イスラエルで活躍した預言者で、生きたまま炎の馬車で天へと上げられた人物でした。聖書は、主の日の到来に先立ってエリヤが遣わされると預言しています(マラキ3:23参照)。人々はイエス様こそ、そのエリヤであると言っていたのです。また、「エレミヤ」は紀元前6世紀に南王国ユダで活躍した預言者でした。聖書にはエレミヤの死について記されていないことから人々の中にはエレミヤがもう一度現れるのではないかと期待している人もありました。また、誰とは言いませんが、「預言者の一人だ」と言う人もいたのです。
祈り
天の父なる神様、神の御子であるイエス・キリストの言動を見て、人々はいろいろな評価を持っていました。それは概して立派な人だ、預言者のような人だという評価が多かったのですが、それらはあくまでも人間の中の立派な人という程度の評価でしかありませんでした。そのままにあなたご自身の権威とそのみこころを受け止めることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。