そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります。コロサイ2:15~17

ここで言われているのは、神とサタンとの闘いに関することです。私たちはそのような霊的な戦いについては、神に教えていただかなければわかりませんが、イエス・キリストの十字架の死によって人間と被造物を解放してくださったということは、サタンが人間を奴隷のように服従させるのに使っていた力と根拠を奪い去ることでもありました。

サタンは、「訴える者」ですから、あたかも検察官のように、人間を罪と滅びに定めようと訴えるのです。その訴えは、(罪の)事実に基づいてものですから説得力があり、理にかなっています。人間はサタンの訴えの前には全く無力であり、そのままでは滅びに陥らざるを得ないのです。

そのような私たちを解放し、希望と将来をもたらすために、主イエスは来てくださいました。主イエスは、その生涯と十字架の死と復活によってそのような私たちの現実を全く新しいものにひっくり返してくださったのです。神は、私たちの処罰を要求するすべての記録、それをあたかも支払いの済んだ債務証書のように釘付けにし、永遠に無効にしてくださったのです。

祈り

天の父なる神様、あなたはイエス・キリストの十字架の血潮を流し、キリストを代価とし、いけにえとしてささげることによって私たちの罪を贖ってくださいました。一つ、二つの罪ではなくすべての罪を赦し贖ってくださったことを感謝いたします。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。