8:5 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
8:6 群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。
フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えましたが、サマリアの人々は、「フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。」と記されています。ステファノと同じく、フィリポも、不思議な業やしるしを行うことができたようです。
それは、7節に「実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。」とありますように、癒やしの業でした。この癒しの業を見聞きしていたゆえに、人々はこぞってフィリポの話しに聞き入ったというのです。
これは、人々がフィリポの不思議な業を正しく理解したことを教えています。フィリポの癒しの業は、これはただ人々を驚かして、あっと言わせようとか、あるいは、自分が偉大な人物であることを証明しようとか、そういうためのものではありません。
6節で「しるし」と呼ばれているように、フィリポが行った不思議な業は、それ自体が目的ではなくて、イエス・キリストを指し示す「しるし」としての意味を持っていました。ここには、詳しく記されていませんが、おそらく、フィリポは、イエス・キリストの名によって、汚れた霊を追い出し、様々な病や障害を癒やしたのではないかと思われます。
使徒ペトロが、美しい門の傍らに座っていた足の不自由な人を、イエス・キリストの名によって立ち上がらせたように、フィリポもイエス・キリストの名によって、病を癒やしたのではないかと思われます。そして、そのことは、イエス・キリストが、今も生きて働いておられることを端的に教えているのです。
それゆえに、人々は、フィリポの話しにこぞって聞き入ったのです。サマリア人もモーセ五書を正典とし、申命記18章15節に預言されていた、モーセのような預言者、救い主の出現を待ち望む者たちでした(ヨハネ4:25)。その救い主こそ、十字架の死から三日目に復活されたイエス・キリストであるとフィリポは宣べ伝えたのです。
祈り
天の父なる神様、ステファノもフィリポも、神によって召された働きを忠実に行い、命をかけてキリストの福音を宣べ伝えていきました。主がともに働いて下さったおかげで、多くの人々がイエス・キリストを信じ受け入れるようになりました。素晴らしい主の御業をほめたたえます。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
