2:33 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。
2:34 ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。
2:35 わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで。」』
2:36 だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
2:37 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。
ペトロは、聖霊に導かれて、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」ということを人々に語りました。
これを聞いた人々は、「これを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。」と言われています。
イスラエルの人々は、長い間預言者たちが伝えたメシアが来ることを待ち望んできました。そのころの人たちは、メシアはローマ帝国の圧政からユダヤ民族を解放してくださるに違いないという思い込みを持っていましたから、イエス・キリストがそのような行動をとらないことに失望するという面もあったと思われます。
しかし、聖霊が降って真理を知るようになった弟子たちは、預言者たちが宣べ伝えたメシアはイエス・キリストであるという確信を与えられて人々に語ったところ、人々は大いに心を打たれたというのです。自分たちが主イエスを十字架につけてしまったという罪を自覚して、悔い改める人たちが起こされたのです。
祈り
天の父なる神様、ダビデは、イエス・キリストのことを預言して、「『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで。』」と語りました。初めに言われている主とは父なる神を指し、私の主とはイエス・キリストを指しているということが出来ます。すでにダビデの時代にイエス・キリストの罪の贖いと死からのよみがえり、そして天の御座に着かれることが預言され、その通りに実現しているのです。あなたの御業を感謝し、その御手により頼んで生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。