神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。ローマ人への手紙8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(新改訳)
生まれてから死ぬまで、私たちの生涯においては、さまざまな経験をしていきます。「喜怒哀楽」と言われますが、うれしいことも悲しいことも経験していくわけです。私たちのいのちは、神が与えてくださったものであり、神が私たちの日々の歩みを支え、養ってきてくださっています。神の創造と摂理という働きによって私たちの人生は支えられています。
今日の聖句は、こうした一般的な神の支えや養いということを超えて、神を信じ、神に従おうとする人々にとっては、すべてがその人の益となるようにして、最後には神の栄光の御国に導きいれてくださることが記されています。
試練や苦しみを通して神を知るようになり、自分の罪や無力を自覚して、神により頼み、信頼すべき神に立ち返るようになることを記してまいりました。また永遠に奪い去られることの無い喜びを与えてくださることを記してきました。私たちは、一般的には、病気になること、事故に遭うこと、障碍を持つこと、迫害に遭うことなどは、これらが自分の益になるというように考えることはないかもしれません。
しかしクリスチャンになられた方々は、例外なく何らかの苦しみや試練を経験したり、障碍を持っていたり、病気や事故にあったりしたことで、神を求めるようになり、神の恵みに与るようになられたことがわかります。
パウロは、何らかの障碍か病を持っていて、神にそれをさらせて下さるようにと願いましたが、それに対しての神の答えは、「わたしの恵みはあなたに十分である」というものでした。「それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(2コリント12:7~9)
思い上がることが無いように、神はそのようなとげをパウロに与えてくださったと言うのです。
祈り
天の父なる神様、私たちの生涯のすべてを知りつつ、すべてのことを最善に導いてくださるあなたの御手の業を感謝いたします。
あなたがなさることを信頼し、お委ねして歩むことができますように、信仰の歩みをお導きください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。