わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。
エボディア、シンティケという二人の婦人は、ここに登場するだけで詳しいことは分かりません。しかし、これらの婦人たちは、「クレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれた」と言われているように、彼らは、イエス・キリストの弟子として忠実に歩もうとした人であったようです。
パウロが、この人たちに勧めていることは、「主において同じ思いを抱きなさい。」ということでした。同じ思いを抱くというのは、イエス・キリストにおいて一つになること、この方を我が主として、心を合わせて生きることが勧められているのです。
この当時は(天国に行ってもそうだと思いますが)、教派の違い、民族の違い、境遇や性の違い、身分の違いなどを超えて、クリスチャンたちの交わりがもたれ、心を合わせて共に生きるという営みが教会においては行われていたのです。現代では、キリスト教会は様々な教派に分かれていますが、あくまでも神の御心は、様々な教派に分かれている教会も、主に在っては心を一つにすることです。それは使徒信条においても、「我は公同の教会を信ず」と告白されています。
祈り
天の父なる神様、様々な違いを持つ私たちが、キリストにおいて心を一つにし、共に祈りあい、ともに助け合いつつ、主の御心を行うことが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。