5:11 主に対する畏れを知っているわたしたちは、人々の説得に努めます。わたしたちは、神にはありのままに知られています。わたしは、あなたがたの良心にもありのままに知られたいと思います。
「主に対する畏れ」と言われていますが、これは、10節において「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。」と言われていたことに対応した言葉です。
すべての人はその罪があるために、一度死んだ後神の裁きの座に着く時が来るのです。このことを覚えつつ、パウロはアテネの人々に次のように語りました。「神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」(使徒17:30~31)
「わたしたちは、神にはありのままに知られています。」とあるように、神様は私たちのことを誰よりもよくご存じであるので、私たちの罪も弱さもすべてを知っておられます。そのうえで神様は、私たちを救うためにイエス・キリストをお遣わしになり、キリストによる罪の贖いを実現し、キリストの復活に私たちもあずかることが出来る道を拓いてくださったのです。
祈り
天の父なる神様、あなたの憐みによって、私たちのためにひとり子をもお遣わしくださった恵みを心より感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。