人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。ローマ13:1~4

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。(新改訳)

 

「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。」と言われています。すべての上に立つ権威は神であり、神に聞き従うことが聖書全体の教えであるといえます。今日のみ言葉も、為政者、政府などの権威に従うことが語られていますが、この世のどの権威も最も上に立つ権威である神に聞き従うべきことが求められています。

 

従って、為政者たちが命令することに関しても、クリスチャンは、この命令が神の御心にかなうものであるかどうかを吟味しつつ判断すべきものです。

出エジプト記を見るなら、奴隷のイスラエルに対して、エジプトの王は、そのまま奴隷として働くことを要求しましたが、神の御心は、エジプトの奴隷状態にあるイスラエルがエジプトから脱出することでした。

 

また、ダニエル書によれば、ネブカドネザル王は、金の像を建てて、これを拝むように国中に命令を出しましたが、偶像礼拝は神の御心ではないと判断したシャドラク、メシャク、アベドネゴは、この像を拝もうとはしませんでした。このため、彼らは燃える炉に投げ込まれるという迫害を受けましたが、神が彼らを守ってくださいました。

 

「総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。」(ダニエル3:27~30)

 

パウロがここで要求していることは、表面的で機械的な行為としてただ命令を守るというようなことではありません。パウロの手紙の中でこの「従う」という言葉は全部で28回使われています。例えば「妻たちよ。自分の夫に従いなさい」(エペソ5章22~24節、コロサイ3章18節)。また「子どもたちよ。両親に従いなさい」(エペソ6章1節、コロサイ3章20節)。「しもべたちよ。自分の主人に服従しなさい」(テトス2章9節、エペソ6章5節、コロサイ3章22節)などがあります。

 

そして今日の箇所では「国民は国家の指導者たちに従うべきです」と言われています。テトスへの手紙3章1節にも、「人々に、次のことを思い起こさせなさい。支配者や権威者に服し、これに従い、すべての善い業を行う用意がなければならない」と言われています。

 

「従う」という言葉で教えられていることの背景には、神に仕え、人に仕えることがあります。愛をもって他者のために生きることが神の御心なのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、権威ある者に従うことは、私たちには楽なことでもあり困難なことでもあります。この世と妥協するかたちで権力におもねるのであればらくだといえるかもしれませんが、あなたのおきてに従って正義を守り、特に虐げられている人を愛することは何と難しいことかと思います。あなたがともにおられて御あとに従うものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。