愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。ローマ12:19~21

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(新改訳)

 

この世界において争いや戦火が絶えないのは、人々がやられたらやり返すという復讐を繰り返しているからということも出来るでしょう。そのような行為が出てくるのは、自分の心の中が平安ではなく、イライラや呟きが心のうちを占めているために、心の思いが外に出てきてしまうのです。

 

主イエスは、不安と恐れを抱き、絶望的な思いに捕われている弟子たちに復活の姿を表された時、「平安があるように」と言われました。主イエスは、私たちのために十字架にかかり、死に打ち勝ってよみがえられた方であるからこそ、私たちに心の平安を与えることが出来るのです。

 

「自分で復讐してはいけません。」と言われています。自分や自分の家族や身内などが危害を加えられた時、殺害されたというような事態に陥った時、私たちはその相手に対してどのような反応を示すでしょうか。自分の子供が殺害されたという親がテレビのインタビューに答えていましたが、「決してAを赦すことはできません。」と答えていました。被告が無期懲役になったとき、「それでは刑が軽すぎます。死刑にしていただかなければ」と答えていた人もありました。

 

ある韓国の教会の牧師は、その息子を殺されましたが、その息子を殺した二人の兄弟を赦すと宣言したばかりでなく、その兄弟の家庭が貧しく家庭が不和の状態にあることを知って、その兄弟を自分の子供として受け入れ、愛のうちに子供たちを育てて、その兄弟たちもクリスチャンになったという実話があります。これはその牧師が、今日のみことばをそのまま実践していった実例であると思います。

 

犯罪を犯した人も、罪を心に宿している人も、「愛」によってこそ変えられていくことが分かります。

 

祈り

 

天の父なる神様、平和を願いながらも平和を作り出すことが出来ない人間の罪深さ、無力さを感じています。今も、国内外で様々なところで争いが繰り返され、尊い命が流されています。争いのないところであっても、多くの人の心は渇いており、その心の渇きを満たしてくれるものを求めているように思われます。真実に心の平安を与えてくださるあなたの恵みが私たちひとりひとりの心に届きますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。