4:18 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。
4:19 そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。
4:20 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。
4:21 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。
4:22 だからまた、それが彼の義と認められたわけです。
アブラハムについて、「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ」たと言われています。彼はすでに老人になっていた時に、アブラハムの子孫が空の星、海の砂のように多くなり、彼の子孫から人類を祝福する者が生まれることを知らされました。
年老いた夫婦に子供が産まれるという約束は、普通に考えれば信じがたいことでしたが、アブラハムはこの神の言葉を信じたというのです。老人になっても神の言葉を信じたアブラハムはなんだか超人的な信仰の持ち主だったのでしょうか。
聖書には、信仰は聖霊によって与えられると言われています。このことを考えると、アブラハムの信仰も聖霊によって与えられたものだということが出来ます。アブラハムが超人的な信仰の持ち主だったというのではなく、聖霊なる神がそのような信仰を与えてくださったということです。
祈り
天の父なる神様、アブラハムに信仰を与え、彼を導かれたように私たちをもお導きくださる恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。