8:13 他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。

 8:14 あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。

 8:15 「多く集めた者も、余ることはなく、/わずかしか集めなかった者も、/不足することはなかった」と書いてあるとおりです。

 

エルサレム教会への献金について、ある人たちは、「彼らに楽をさせて、自分たちは苦労をするというのはおかしいのではないか」と考える人がいたようです。この献金は、エルサレムの教会を楽にさせるためというのではなく、エルサレムの教会が非常に窮乏のうちにあるので、助けを必要にしている教会に対して支援をすることで、つり合いがとれるようにすることだというのです。

 

イエス・キリストの教会は、偶然に、あるいは短期間のうちに造られてきたのではありません。天地をお造りになった神様が、罪に堕ちてしまった人類を救うために、ノアやアブラハム、モーセやダビデなど多くの人々のうちに働いて、やがて救い主メシアを遣わして、私たちを救ってくださるという約束をお与えになり、時満ちて神の御子であるイエス・キリストをお遣わしになったのです。

 

そして、神の救いの御業は、イエス・キリストの到来によって明白に示されるとともに、それはユダヤ人、異邦人などの違いを超えて、あらゆる人々に向けた救いの恵みであることを教えてくださったのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、この世界には格差や差別がありますが、あなたは愛すること、助け合って生きることを願っておられます。あなたの御心のように愛する者とならせてください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。