23:6 これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、
23:7 ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。
23:8 彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。
23:9 それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。
ここに出てくるヘロデは、ヘロデ・アンティパスと思われます。彼はバプテスマのヨハネを処刑した領主でもあります。「イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいた」という思いを持っていたので、いろいろと質問をしましたが、「イエスは何もお答えになりませんでした。」
ヘロデ王といえば、彼の父親であるヘロデ大王は、イエス様がお生まれになった時、ベツレヘムの2歳以下の男の子をすべて殺したということにも示されているように残虐非道と言われるような王様で、身内も含めて多くの人を殺害してきた人です。現在の日本に住んでいる私たちは、憲法や様々な法律に基づく社会に生きていますが、当時の王政の社会では、王の権限において、王の言葉がルールになるというようなやり方がまかり通っていました。
当時、最もよく行われていた処刑の方法は、バプテスマのヨハネがそうであったように斬首という方法でした。一瞬のうちに死に至るのでこれが処刑される人にとっては最も楽な処刑方法でした。他にも、絞首刑、石打ち、火あぶり、十字架と後になるほど残酷な処刑方法でした。
祈り
天の父なる神様、イエス様はかねてより、「「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」」(マタイ20:18~19)といっておられました。これは原文の意味では、「引き渡されなければならない」「十字架につけられなければならない」「復活しなければならない」と言われていました。そのようにして、それほどにして私たちの罪を贖ってくださる恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。