5:5 ファラオは更に、言った。「この国にいる者の数が増えているのに、お前たちは彼らに労働をやめさせようとするのか。」
5:6 ファラオはその日、民を追い使う者と下役の者に命じた。
5:7 「これからは、今までのように、彼らにれんがを作るためのわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。
5:8 しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ。
5:9 この者たちは、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう。」
神様がモーセとアロンに出エジプトの召命を与えた後も、すんなりと事が運ぶわけではありませんでした。むしろ、エジプトの王様は、これまで以上に過酷な労働をイスラエル人たちに課すようになりました。
出エジプト記にある歴史は、この世界の歴史とある面ではダブっているようにも思われます。出エジプト、すなわち罪からの脱出はすでに決められていることですが、脱出の前に困難な時が続きます。
それと同じように、この世の終わりの時代にも艱難時代がやってきて、その後に神による裁きと解放がやってくるのです。信仰は、今ある現実の見える状態ではなく、その向こうにある神の約束を信じて、見えない事実を確認し、神の言葉を信頼して希望を持って生きることです。
祈り
天の父なる神様、イスラエルの民に約束された祝福は、やがてイエス・キリストによって、あらゆる時代、あらゆる民族に与えられる祝福であり、神との和解、罪の赦し、永遠の命が与えられるという素晴らしい恵みでしたが、イスラエルの人々は、この祝福をいただくことを拒否して、異邦人と呼ばれていたあらゆる民族にこの恵みの福音は伝えられるようになりました。私たちにもこの恵みのうちに生きるように招いてくださることを感謝いたします。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。