そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。フィリピ1章20節
「キリストがあがめられるように切に願う」と言われています。私たちは普段の祈りにおいてこのように祈ることがあるでしょうか。またこのような切なる願いをもって生活しているでしょうか。
神の御名があがめられるようにという願いは、主イエスが、主の祈りにおいて先ず最初の祈りとして教えられたものでした。「御名があがめられますように」と祈るように祈られた主イエスは、私たちの普段の生活においても同じことを願いつつ生きることを求めておられるに違いありません。
とかく私たちは、自分の栄光があらわされることを願う傾向があるように思いますが、最もほめたたえられるべきお方である神に栄光が現わされることを意識していきたいと思います。
「私はいと高き方に私のもっとも良いものをささげる」これがパウロの願いでした。そこにたどりつくためには、私たちの努力によって到達できるというよりも、むしろ自らの無力さを認めて、聖霊が我がうちに働いてくださることです。自分が上に立っての理論や討論では到達できません、全面的な意志の明け渡しが求められるのです。
祈り
天の父なる神様、あなたの御名をあがめることが出来ますように。わたしの心を新しくし、自らの栄光ではなく、あなたの栄光が現わされることを願って生きる者とならせてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。