誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。マタイによる福音書26:41
誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

「心は燃えていても、肉体は弱いのです。」とありますが、肉体の弱さを覚えることもありますが、心の弱さを覚えるときもあります。そんな私たちだからこそ主イエスは、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)と言ってくださいました。また、聖霊を我がうちに与えてくださって、様々な誘惑から守り、導いていてくださいます。

 

私たちに必要なことは、自分の弱さを知ることではないでしょうか。クリスチャンであれば、だれもが自分の罪を自覚し、主イエスをわたしの救い主として受け入れているはずですが、心底自分の罪を自覚するのは、例えば、主イエスが十字架にかけられるときに、弟子たちは主イエスをおいて逃げ出してしましました。「私はどんなことがあってもあなたを否むようなことはしません」と言っていたペトロも、三度も主イエスを否んでしまったとき、身をもって自分の弱さを知らされたのでした。

 

身をもって、心底、自分の弱さを自覚する、心が打ち砕かれるという経験をしてこそ、真心から主イエスを私の救い主として受け入れることになるのでしょう。私たちも打ち砕かれる体験をすることがあるのではないでしょうか。

 

旧約においても、新約においても、主に従うように導かれた人は、そのようにして心を新しくされていったことが分かります。主にあって、自分の弱さを自覚させられた人は、必然的に祈る人へと変えられていきます。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたの元を離れるとき、私たちの心はすぐに自分を中心に回り始めてしまいます。そして誘惑に陥ったり、傲慢になったり、自信を無くしてしまったり、思い患うことにもなるのです。あなたのもとにとどまり、あなたの道を歩ませてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。