しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。マタイによる福音書5:44-46

神様の御心は、どのような時にも、だれに対しても「愛すること」です。それは、主イエスが、その生涯を通してあらゆる人々を愛されたことからも分かります。愛するとは、具体的な思いであり行為としてあらわれるものです。

 

この世界には、神を信じる人もいれば、神に敵対する人、偶像礼拝をする人、犯罪を犯す人、いろいろな人々が存在していますが、神は、「悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださ」います。神は、その意味で分け隔てをなさらないのです。

 

どの人もこの神によって生を与えられ、この神によって日々の暮らしを支えられ育まれてきています。今年は暑い夏と言われていますが、それでも神の御手があるからこそ、温度も、湿度も、水も、食物も、住宅も、家族も、健康もこのように支えられ、生かされているのです。

 

主イエスの、「あなたの敵を愛せよ」という教えは、私たちにとっては驚くべきものです。およそ人間の発想では、そのような教えは生まれてこないでしょう。人間は、多くの場合、「自分を愛してくれる者」は、大切にし、愛したいと思いますが、自分を傷つけたり、悪口を言ったり、暴力をふるうような相手に対しては、憎しみの心を抱いたり、仕返しをしてやろうと考えるような思いが自然に生まれてきてしまうものです。

 

しかし、そのような罪あるものを神は愛してくださいました。そして、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたは、罪に穢れた、私のようなものにも目をとめてくださり、感謝いたします。多くの恵みをただ与えられるばかりの者ですが、あなたが愛してくださったように、愛することが出来るようにお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。