12:27 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

12:28 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。

 

自分で育てている花や野菜などであればともかく、道端の草花がどうであるかなどということには、私たちはあまり関心を抱かないものです。

 

イエス様は、誰も心に留めようとはしていない道端の草花でさえ、神は養っていてくださるではないかと言われるのです。

 

ヨブ記38章以下には、神様がこの世界の生きとし生けるあらゆるものを養っておられることが記されています。31節以下には、ヨブに対して「38:31 すばるの鎖を引き締め/オリオンの綱を緩めることがお前にできるか。時がくれば銀河を繰り出し/大熊を子熊と共に導き出すことができるか。天の法則を知り/その支配を地上に及ぼす者はお前か。・・・お前は雌獅子のために獲物を備え/その子の食欲を満たしてやることができるか。・・・誰が烏のために餌を置いてやるのか/その雛が神に向かって鳴き/食べ物を求めて迷い出るとき。お前は岩場の山羊が子を産む時を知っているか。雌鹿の産みの苦しみを見守ることができるか。月が満ちるのを数え/産むべき時を知ることができるか。

 

スバルやオリオンの星々のことが語られるとともに命あるものを今日も育んでおられるのは神であるということが記されています。

 

祈り

 

天の父なる神様、命は神の領域であること、命を生み出し育むために、私たちには到底及ばないあなたの摂理の御手があることを教えられています。「だから思い煩わなくてもよい」というあなたの御手を信じて生きる者とならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。