3:17 ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。
3:18 しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。
3:19 だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。
ここで「あんなこと」といわれているのは、13節から15節でペトロが指摘したことです。彼らはイエス・キリストを十字架につけるためにローマ総督であるピラトに引渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。彼らは命への導き手であるイエスを殺してしまいました。それが、ペトロが語る「あんなこと」です。
そして、ペトロは、イスラエルの兄弟たちが、「あんなこと」をしてしまったのは、指導者たちと同様に無知であったからであると語っています。ここで「指導者たち」と言われているのは、イエス様を逮捕し、裁いた最高法院のメンバーのことです。
さらには、イエス様をメシアには不適格として、「イエス・キリストを十字架につけろ」と叫んで処刑しようしたユダヤ人の民衆たちも同じく無知であった、とペトロは語っているのです。彼らは何について無知であったのかといえば、彼らはイエス・キリストについて無知であったというのです。
イエス・キリストが、聖なる正しい方であり、命への導き手であることを、彼らは知らなかったのです。その無知のゆえに、彼らは、命への導き手であるイエスを殺してしまったのです。
しかし、それは神様の側からすれば、偶然でも、予想外な出来事でもありませんでした。なぜなら、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの受難によって人々を救うという働きを、このようにして実現なされたからです。神は、人間の無知、また罪さえも用いられて、御自分の計画を進められたのです。
祈り
天の父なる神様、人々はイエス・キリストに対して無知であったために、メシアを十字架につけて殺してしまいましたが、神様はそのことによって罪の贖いを実現して下さいました。あなたの恵みの御業を感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。