現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。ローマ人への手紙8:18
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
この地上生涯の間、私たちには様々な苦しみがあります。昨日は、大雨のために床上浸水となった関市上之保地区、鳥屋市地区を訪ねました。一瞬にして大洪水に襲われ、建物も持ち物も多くがすぐには住めないような状況になり、泥下記を行い、消毒をして、畳を上げた板間の上に生活をしておられる方々には、一日も早い復旧が行なわれるようにと祈り願います。
全国から送られた支援物資を持って、「必要なものはありませんか?」と声をかけながら、「こんなものがあります」と、要求に応じて、歯ブラシ、蚊取り線香、チャッカマン、デッキブラシ、ほうき、ちりとり、虫除けスプレー、タオル、スコップなどをお渡ししてきましたが、住んでいるかたがたの多くはお年寄りであり、お子様たちも手伝いには来れないとのこと。大変な生活を強いられていると思いました。
初代教会のクリスチャンたちも、クリスチャンであるというだけの理由で迫害を受けることもありましたが、この世の苦しみを経験する時、パウロが述べているような、「将来の栄光」を仰ぎ見ながら、この世の苦しみの生活をも耐え忍んで、希望を持って生きていったのでした。
信仰を持って生きるクリスチャンの生き方は、そうしたものです。
「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。・・・彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」(ヘブライ11:13,16)
祈り
天の父なる神様、あなたがすでに私たちのために天の故郷を用意していてくださることを心より感謝いたします。やがて与えられる栄光の御国を仰ぎつつ、望みを持って今を生きる者とならせてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。