18:35 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。
18:36 群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。
18:37 「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、
18:38 彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。
18:39 先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。
この当時のイスラエルにおいては、目の見えない人たちは、物乞いをするか誰かに支援していただくことがなければ生きていくことが出来ませんでした。
今日の聖句にも、「ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。」と言われています。
肉体的には目が見えないのですから、生活にもいろいろな支障があったことでしょう。それに加えて、道端で「お恵み下さい」という以外に生きていくすべがない、この方の思いはどんなにみじめなものであったろうかと思います
周りの人々は、叱りつけて黙らせようとしましたが、彼は、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。と言われています。
今のこのみじめな私を救ってくださるのはイエス様しかいないという思いで、叫び続けたのです。
祈り
天の父なる神様、日本では、道端に座って物乞いをしているような人を見かけることはまずありませんが、ほかのアジア・アフリカなどの国に行きますとそうした方々を見かけることがあります。インドでは、カースト制度がありますから、下層階級の方々が道端で路上生活をしている方をよく見かけます。子供たちがごみ集積場に行ったり、路上で自動車に乗っている人に物乞いをするような光景も見られます。宗教的な理由もあって多くの人はそのような人を助けようとはしません。しかし、イエス様は、このような方々の苦しみや痛みを受け止めておられました。「良きサマリヤ人のたとえ」において、サマリヤ人の行為を評価して、「あなたもそのようにしなさい」と言われました。そのような者に近づくことが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。