10:13 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。
10:14 しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽い罰で済む。
10:15 また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。
10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」
イエスさまは、コラジン、そしてベトサイダ、カファルナウムという町の名前を挙げて、それらの町に対する神の裁きを語られます。それらの町よりも、まだティルスやシドンの町の方が軽い罰で済むと言われています。
コラジンやベトサイダ、カファルナウムという町は、いずれもガリラヤ地方の町で、イエス様が奇跡を行い福音を宣べ伝えられたユダヤ人の町です。そして、ティルスやシドンという町は、今のレバノンの国の町で、異邦人の町です。つまり、神の民であるイスラエル人、ユダヤ人の町であり、イエスさまが伝道なさった町であるのに、それよりも異邦人の町であるティルスやシドンの方がまだ軽い罰で済む、と言われているのです。
「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ」と言われました。「不幸だ」というのは日本語にすると「ああ」という嘆きの言葉のギリシャ語です。「ああ、何と悲しいことか」という意味です。イエスさまはそれらの町を呪っておられるのではなく、嘆き悲しんでおられるのです。心を痛めておられるのです。なぜなら、それらの町は「悔い改め」なかったからです。
祈り
天の父なる神様、私たちはじぶんにとって都合のよいと思われることには関心を持ちますが、そうでないことや嫌なことには目をつむってしまう傾向があります。聖書には終わりの時代、人々は自分にとって心地よいと思われることばかりを語る人々を寄せ集め、真理から離れてしまうことが記されています。イエス様は、罪を犯した町が、悔い改めようとしないのを見て嘆かれました。周りの状況がどのようなことであっても真実に目を向け、真理に堅くたつことが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。