18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻のサラはどこにいますか。」「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、

18:10 彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。

18:11 アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。

18:12 サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。

 

年老いた人から子供が生まれることはありません。それは不可能なことですが、これは神の御業であることを示すために、あえて神はアブラハムとサラが高齢になってからこのことを実行しようとなさったのだと思います。

 

マリアという処女から子供が生まれるということについても、通常ではありえない方法で、神にしかできない方法をとって、これは神から出たものであることを私たちに教えておられるのです。

 

私たちの出生も、この世界の運行や季節の移り変わりも、神の御手の中で行われている営みです。神を信じているかいないかに関わらず、私たちは多くのものを神からいただいているのです。

 

アブラハムも、サラも、神の約束を聴きながらも、子供が生まれるという言葉をそのまま信じることは困難なことでした。とても人間の常識では考えられないことでしたが、だからこそ神は、彼の信仰を確かなものとするためにもこの約束を実現なさるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたによって生かされていることを覚えて感謝いたします。私に出会って下さり、わたしが神であると聖書を通して教えてくださり、信仰によって生きることが出来るように導いていてくださいます。確かなものを信じて生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。