ところで、神の言葉は決して効力を失ったわけではありません。イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず、また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。かえって、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。」すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。ローマ9:6~8

しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」のだからです。すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。(新改訳)

 

神様はアブラハムと恵みの契約を結び、彼の子孫であるユダヤ人を神の民として選んでくださいました。しかし、聖書の歴史を見ていくと、アブラハムの子孫がみな選ばれたわけではなく、アブラハムの祝福を受け継ぐものは続いて、イサク、そしてヤコブというように受け継がれていったことが分かります。

 

さらに、ヤコブの12の息子たちは、イスラエルの十二部族の族長となり、息子たちの名がそれぞれの部族の名となりました。聖書に記されている救いの歴史は、アブラハム、ダビデ、イエス・キリストと続く血筋のつながりの中で救い主が生まれてきたことが分かります。

 

アブラハムの子孫、ダビデの子孫としてやがてイエス・キリストはお生まれになりましたが、主イエスの生涯と、十字架の死と、復活によって完全な罪の贖いがなされましたので、血筋によらず、民族の違いなどに関わらず、どの人も、キリストへの信仰によって救われる道が開かれたのです。

 

9章からは、イスラエルについてのことが記されていきますが、イスラエルの最も大きな存在理由は、イスラエルを通してメシアがこの世に来られるという点にありました。イスラエルの律法、契約、祭司の儀式などすべてがメシアを指し示すものであり、それらはメシアにおいて成就されたものです。

 

イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」のだからです。と言われているように、神の目から見たときに、誰が真実の神の民なのかという判断は、その血筋によって判断されるのではなく、民族の違いによるのでもなく、神はあらゆる人々の中から、分け隔てすることなく、信仰によって義とされると言われているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、イスラエルを通して、やがて世界中のあらゆる人々に救いの恵みを届けるために、イエス・キリストをお遣わし下さり、聖霊が私たちの内におられて私たちを導き、その信仰と希望を持って今を生きるようにとお導き下さることを感謝いたします。

あなたとともに、あなたのお恵みのうちに生涯歩み続けることができますようにお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。