19:12 民のために周囲に境を設けて、命じなさい。『山に登らぬよう、また、その境界に触れぬよう注意せよ。山に触れる者は必ず死刑に処せられる。
19:13 その人に手を触れずに、石で打ち殺すか、矢で射殺さねばならない。獣であれ、人であれ、生かしておいてはならない。角笛が長く吹き鳴らされるとき、ある人々は山に登ることができる。』」
19:14 モーセは山から民のところに下って行き、民を聖別し、衣服を洗わせ、
19:15 民に命じて、「三日目のために準備をしなさい。女に近づいてはならない」と言った。
19:16 三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた。
19:17 しかし、モーセが民を神に会わせるために宿営から連れ出したので、彼らは山のふもとに立った。
19:18 シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。
19:19 角笛の音がますます鋭く鳴り響いたとき、モーセが語りかけると、神は雷鳴をもって答えられた。
アダムとエバを創造されたとき、人間が罪を犯す以前は、何のわだかまりもなく、親しく、自由に交わりを持つことが出来ていました。ところが罪が人類に入って以来、汚れてしまった人は神の前に立つことが出来なくなってしまったのです。
このような命の源である神との断絶は、すなわち「死」を意味する者でした。肉体は神によって生かされていても魂は死んだも同然の状態であったのです。罪ある人間が神に出会うということの困難さ、恐れがここには表されており、神に出会うための備えがここには記されています。
しかし、このような困難な状況が、イエス・キリストの到来によって変えられました。主イエスは、人として完全に罪のない生涯を送るとともに、大祭司として完全な神との和解を実現し、私たちの罪を贖ってくださったのです。
祈り
天の父なる神様、あなたが罪を犯した人類を直ちに滅ぼしてしまうのではなく、直ちに救いの計画を示し、忍耐強く導き、イエス・キリストによって救いの道を開いてくださったことを感謝いたします。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。