9:15 しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだ方がましです……。だれも、わたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない。

9:16 もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。

9:17 自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。

 

パウロは、福音宣教をしたことによる報酬を教会から得る権利を持っていますが、そのような権利を利用しようとはしませんでした。パウロにとってキリストの福音を宣べ伝えることは、「そうせずにはいられないこと」であり、神によって強いられて行っていることなのだと言うのです。

 

パウロは、以前はキリストやキリスト者を迫害する者でしたが、復活のイエス・キリストに出会って回心し、悔い改めて、今度はキリストの福音を宣べ伝える使徒として召されたのです。

 

彼にとって福音を宣べ伝えることは、してもしなくてもよいというものではなく、そうせざるを得ない、選択の余地のない、神によって召された働きであったのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたの召しに応えて福音を宣べ伝えることは、名誉なこと、光栄なことですが、それは大きな覚悟が必要とされ、責任が伴うものでもあります。あなたのお導きがなければ決してできないことです。御心のままにその尊い働きを果たしていくことが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。