兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。ローマ15:14~16

私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。ただ私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。(新改訳)

 

ローマ人への手紙も最終段階に入ってきました。この手紙を書いているパウロは、このときはまだローマの教会に行ったことはありませんが、イエス・キリストの福音を信じるように聖霊によって導かれている彼らを聖徒とよび、彼らが善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに訓戒し合うことが出来ると述べています。

 

「善意に満ち」とは、教会に連なる人たちが、互いに相手を祝福しあう関係となっているということです。「あらゆる知識に満ち」とは、聖書を正しく理解しその教えをよくわきまえているということです。だからこそ「互いに戒め合うこと」が出来るといえます。

 

「互いに戒め合うこと」が出来るようになるためには、お互いが相手を信頼し、へりくだり、自分自身の弱さや罪を正直に認めることが出来る人でなければなりません。過ちを侵すことのない人などありませんが、過ちを犯したことを正直に認めつつ、神の前に心から悔い改めることが出来るからこそ、「互いに戒め合うこと」が出来るといえるでしょう。

 

パウロは、神によって、特に異邦人に福音を伝える働き人として召され、神と異邦人の間をとりもつ「祭司の役を務め」ました。異邦人に福音が伝えられるためにパウロが果たした役割は非常に大きなものがあります。彼の伝道のみならず、彼の残した書簡は、新約聖書の約40%を占めるほどになっています。彼の書簡を通して、神は今日も私たちに語っておられるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、パウロは、ローマの教会の人たちに、「あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。」と書き送りましたが、これは同じ聖霊に導かれている私たちに向けても語られていることを覚えて感謝いたします。

そのようにして、主イエスに向かって成長し続けることが出来ますように、私たちの日々のあゆみをお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。