8:12 道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。

 

道端に落ちた種は、常識的に考えてみても芽を出して実を実らせることは難しいだろうと思われますが、ここでイエス様は、「御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである」と言われています。

 

これはすでに言われていた言葉では、「ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。」と言われていました。鳥が来て食べてしまうというのは、ここでは悪魔が来てみ言葉を奪い去ってしまうと言われています。

 

なぜこのようになるかを考えてみると、道端のような心は、その人のありのままの心であって、神様からのサポートによってみ言葉を受け入れるようにはなっていないからです。どんなにみ言葉が蒔かれても、神がその人の心に働いて下さり、み言葉の種が受け入れられるように守り、その心のうちに根を張っていけるようにしてくださらないなら、その内に悪魔がやってきて奪い去ってしまうのです。

 

残念ながら、生まれながらの私たちの心は、道端のようなかたい心ですから、神によって耕していただき、柔らかい心にしていく必要があるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、道端に落ちた種のように、私たちの心が硬くてみ言葉を受け入れることが出来ない時、悪魔がそれを奪い取っていってしまいます。聞く耳をもってみ言葉を聞くことが出来ますようにお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。